「情報」の扱われ方は「発信」から「共有」へ


引用元:Twitter. It's what's happening.

 インターネットが「情報」を流通させるプラフォなのは今も同じだけど、一昔前のネット(家庭にPCが普及し始めた頃)ってのは「情報を発信する場所」で、PCの使い手はテキストサイトで情報を発信するのが主だった。それが暗号技術が変化するに連れ、コメントを書き易いブログが主になり、次は「情報を共有する場所」SNSが主になった。文字という情報を載せる大船はHPからブログに、そしてツイッターやFBに変化した。絵という情報を載せる船も個人サイトからpixivやdrawrなんかの共有方向へシフト。動画を載せるyoutubeも動画と動画を繋ぐ共有思考が強くアップデートされ、ニコニコ動画も言わずもがな共有思考が強い。コメントの力がやっぱり強いコンテンツ。
 インターネットが「情報」を流す媒体であるのは変わらないけど、その「情報」の扱われ方は今日も1秒1秒変容してってる。だから個人サイトやブログサービスを押し出す会社はある日急に勢いを落としたりする。その点、「情報」それのみにフォーカスを当て「情報」を作り出すことではなく「情報」を捌くシステム構築に理念を一貫しているgoogleは賢いし先見の目があった。ことになるでしょう。

 「情報を発信する場所」時代のネットユーザー達が今の「共有」時代のネットに慣れないと発言してることが多いのは、ネットを「便所の落書き」と捉えられていた時代から大きく変化したからかな、と思う。今やネットでの個人の情報は「便所の落書き」ではなく「スーパーの広告チラシ」で、下手なこと書いたら大変なことになる。
(「スーパーの広告チラシ」って行っても、「チラシの裏にでも書いてろ」って比喩がある通り、基本的にはジャンクな話題が多いし書き込める話題の範囲も広い笑。)