「女優は本人と正反対の役がベストプレイになりがちなんだぜ!」論


 武井咲さんのヤンキー時代写真流出が結構騒がれている。そこには彼女が清純な役柄ばかりをやっていたこととのギャップがあるのだろうけど、女優は本人と正反対の表現(役柄)をベストプレイとしがちという認識があるから自分は納得がいってしまうのだ。

〜例〜
長澤まさみは父親がサッカー選手でかわいいから、「周りからかつがれること」が当然となってる感じ→「割食う」役の演技が良い(『GOLD』、コクリコ坂から』)
沢尻エリカは幼い頃に父と兄を亡くしていて、言う事を聞いてくれる年上と結婚しちゃう「女の子」な感じ、しかし気は強い→『手紙』の立派な母親になる演技が絶品。『1リットルの涙』での暖かな家庭に包まれた良い子の役も良い。
ナタリー・ポートマンは教育重視の親の指導下で『レオン』以来表現の世界に出られなかったが、学歴をきちんと積み女優として開花。作品に必要ならばバンバン脱ぎ、自立している→親に強いられバレエ一本で育ち性的な表現ができなかった『ブラックスワン』の真面目ちゃんとは反対
宮崎あおいは「キモいおっさんと握手する人生は嫌だった」、夫に「とばっちり受けるのは勘弁です、と言ってるとTwitterに書け」と言っちゃうドS→定番とされている純朴で派手じゃない女の子とは正反対。
小池栄子はプロレスラーの夫を支えるために変な仕事までして尽くす系→『大奥』、『宿命』、『恋愛寫眞』とヒステリーな役が当たり役
ヴィヴィアン・リーは酒と薬に溺れた→『風とともに去りぬ』のスカーレット・オハラは生真面目で誇り高き女性
ペネロペ・クルスはゲイの監督に「初めて女性に惚れた」とか言われてるからオラオラ的な男性脳疑惑→女性的な役柄が多い

 筆頭に挙げた長澤まさみの、『ラストフレンズ』での当たり約は「正反対」とは少し違っていて、あれは本人の人柄にめちゃめちゃヒットしてる。『下流の宴』の黒木瞳もそう。本人の人柄とフィットしてる役の場合、演技力無くしても成立するんだけど、それが「嫌われ役」の場合だと演技力で「キャラとしての愛嬌」を補強することをしないと視聴者には嫌悪感が残りやすい。『ラストフレンズ』の長澤まさみも『下流の宴』序盤の黒木瞳も超痛い笑。「嫌われ役」と言うと『ソーシャルネットワーク』のザッカーバーグだけど、あれはジェシー・アイゼンバーグの端正な演技が凄いから愛されるキャラに仕上がっている。「演技力無くして成立する本人と同じ個性のキャラ」の金字塔は『ファイトクラブ』のブラッド・ピットだと思う。演技力という技能だけでなく本人から溢れ出る「個性」も役者としての魅力である、という持論の体現者だ。