『第9地区』のシニカルさ

第9地区 [DVD]

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 映画『第9地区』は「差別をする人間」ではなく「外観だけで差別的だ!と批判する人間」を皮肉っている映画ではないか?とこの後味悪い映画を見て思ったわけです。なぜこんなにも後味が悪いのか?ネタバレ全開で考えてみましょー。


1.外観と内容のギャップ
 『第9地区』は、「反差別的な外観」と「差別的な内容」が組み合わさって物語が展開していく。だから不可解な印象を残す。
 半差別的な外観例:「"白人が統治権を持つ人種差別的・格差的社会のヨハネスブルク"という舞台」/「"白人の主人公と異星人の1人が共闘し、敵を倒す"シナリオ」…このような舞台設定と物語の大枠を見ると「差別している側の者と差別されている側の者が力を合わせて悪を倒す!」って爽快感にあふれる映画なんですけど、よく見ると差別的な描写に溢れている。そもそも、倒された側が悪だと仮定しても、主人公は"正義"ではないという大きな欠陥がある。でも大枠はわかりやすいほどのヒーローショウ。この外観(ヒーローショウ)のわかりやすさがキモ。
 次に差別的な内容。ジャブジャブ出てくるよ!差別的な内容例:「差別意識を一貫して保持している主人公」/「人間的に描かれているのは服を着たエビだけ」/「エビの好物が黒人差別の象徴である古タイヤ」/「スラムの黒人は異星人の肉を食べれば神の力が宿ると信じている」って多いよ!詳しくはわかりやすいこのblogで。→【ネタバレ】「第9地区」をようやく観ました/ヨハネスブルグからの不敵な挑戦状 - 万来堂日記3rd(仮)
 『第9地区』は、非常に差別的な血肉で培われたヒーローショウってわけです。

2.故意の差別描写
 『第9地区』を「反差別の皮を被った差別要素映画」とすると、その差別的描写は「無意識のうちに溢れてしまった差別意識」と言うより「意識的に描写された差別意識」だと見受けられる。
 監督は企画倒れになってしまった『Halo』実写版の監督に抜擢されていた人のようで、この『Halo』ってゲームはいわゆる「この残虐なゲームのせいで犯罪が起きる」と言われちゃうようなゲーム。犯罪が起きれば、「ゲームのせいだ」なんて制作陣が批判される。その際に、「本当にその作品が犯罪に寄与しているのか?」ということにあまり重点は置かれない。映画企画『Halo』もそのような批判の的にされていたかもしれない。こういう経歴を見ると、『第9地区』が「外観だけを見て批判する人間」を皮肉る作品ではないか、という意見に説得力が出てくる。って上に載せてあるblogの総まとめみたいになっちゃいましたけど(;´Д`)

 付け加えて。異星人の描き方が「服を着ている→人間のような頭脳、高潔」「服を着てない異星人→野蛮、単細胞」となってるんですけど、差別意識を一貫して保持していた主人公が(言葉のとおり)後者と化した結末はひどくシニカル。

 蛇足:最近のアメリカ映画はこれといい『アバター』といい「敵対していた集団の中に入って、その集団の仲間になってしまう」という作品が多いなぁ…グローバル化が進んだ90年代なんかは『ダンス・ウィズ・ウルブズ』とか「敵対していた集団が実はいい人たちと知った、帰った主人公が帰って仲介する」的な『ポカホンタス』系が多かったんだけど。イラク戦争で失ったアメリカ国民の国家への信用の現れか。