「インターネットでは本音が言える」って本当?〜「空気」の不在〜

 ネットについて思ったこと。「映画『ソーシャルネットワーク』を見てどう思った?」と問いてきた先輩に、「俺はインターネットって論理に重きが置かれてるネットワークが広がることによって、世界全体がその論ありきの世界へ変わっていってしまうことが怖いと思った」と言われて。
 確かにこのインターネットという世界は論に重きが置かれている。言葉のみの交信が多いから。140文字の呟きが水流のように生まれては消えてゆくツイッターなんてその象徴でしょう。この現実世界とネットワーク世界の違いが顕著に現れてると思うのが「リアル麻雀とネット麻雀」で、現実で麻雀を打っていると相手の顔つきや仕草を見ることができる。空気から「良い持ちだな」とか「そろそろ攻撃しかけてくる」など言葉無き感情を読み取れるわけです。手札が揃ったら煙草吸い出すテンパイ煙草とかもw。だけれど、ネット麻雀にはそれが無い。漂う空気が無いんですね。それがインターネットコミュニケーションと現実でのコミュニケーションの差かなと。「空気」が流れないほど交信においての「論」の色が濃くなってゆく。
 インターネットの広がりによって世界に溢れるコミュニケーションが「論ありき」の方向へ進んでいくのは当然の帰結で、それって実は優しくない世界なんじゃ?という問題点の登場です。「ネットでは本音が書ける」ってそれは本当なのか?結局、インターネットで構築している社会と現実で構築している社会が異なるから現実での愚痴が言い易いだけであって、インターネット社会での愚痴がインターネットで言い易いかと言われるとそうでない気がする。現実の“社会“から隔離されているように扱われるインターネットにもそれ独自の“社会”は存在するでしょう。

 個人的には、現実での方が感情披露がしやすい。意見を言うにしても現実だと手振りとか言葉の強弱で印象づけられたり、「論」の部分ではなく「感情」部分の想いを伝え易いから。インターネットで文字のみで主張する場合、聞き手に一度でも矛盾を抱かれると一気に効力を失う。そしてそれをリカバーする術が「論」しか無い。ギャグを言う時もネットじゃぁ「言ってるネタ自体より本人の挙動が面白い」類のものは文に勢いを持たせないと通用しないし、褒められた時も、現実だと黙ってニヤニヤしてたらある程度「(嬉しいんだな)」とわかってくれるけどネットだと無言で返すとただのスルーとして受け止められてしまう。現実だと顔つきでわかってもらえるけどネットだとスルーしたら冷たい印象しか与えんよね。
 こうして現実でのコミュニケーションとネットコミュニケーションを考えてみると、普段現実でどれだけ「僕のことわかってよ!!(碇シンジ)」な、「空気頼り」コミュニケーションしているかを実感する。そしてある1つの事実に気付いてしまったのだ…(ゴゴゴ…) 「自分ネットコミュニケーションとか向いてないんじゃ」と……〜おわり〜