「主演のせいで視聴率惨敗」という意見からわかることは「その主演に人気がある」ということ


  「主演●●のせいでドラマ視聴率惨敗」って言われる役者は人気者だけだから誇っていい。例えばキムタクや前田敦子のドラマの視聴率が悪かったら叩く記事が出まくる。その記事が書かれるのは観覧数が稼げるから。もこみちや最近の上戸彩の視聴率が低くても「もこみちのせいでドラマ惨敗」と多くは書かれない。「主演のせいで視聴率惨敗」という言葉の裏には「その役者を主役に置けば(他がどうであれ)視聴率が取れる」という期待がある。主演を下げるどころかむしろ宗教的なまでに持ち上げているので言われた人間とファンはその人気面は誇っていい。「キムタクドラマ惨敗wwww」という記事書かれても、「あーキムタクって人気なんだなーブランド力やっぱ凄いなー」って思うだけでキムタクの人気が落ちたなんて思わんよ。実際は反対。期待値が高いから意味不明な責任を要求されてる。ちなみに、視聴率が悪いのは「作品」がつまらないからです*1
 「●●視聴率・売上惨敗の戦犯はあいつだ」って風潮、ファン界隈ならわかるんだけど*2、作る側がそう言うのって結局は作品を軽視してて嫌いだ。ドラマや映画って「1人の人間」が創ってるわけじゃなくて、沢山の人間が見えない所で話を作って資金をとりつけて人材を集めて物を運んで演技をして編集したりして世に出してるわけでしょ。TV局側が「キムタクもうダメだな」なんて言うのは気分悪くて、そちら側にいるんだからその作品にキムタク以外の人が携わっていることを知ってる訳だ。なのに作品の全任を役者1人に背負わせるって、身内の制作サイドにすら敬意が無くて本当に不愉快。
 「その役者を主役に置けば(他がどうであれ)視聴率が取れる」という意識は他の役者や制作陣をバカにしているし、「作品」を見ることを放棄している。「主役がいれば作品がつまらなくても見る」人なんてファンしかいない。TV黄金期と違って家での娯楽が多い今の時代、芸能人1人のファンだけで高い視聴率なんて望めないでしょう。むしろファン以外を巻き込む作品の魅力が必要。家での娯楽がTVや紙媒体しか無かった時代では「この人がいれば大半の国民が見る大スター」は登場できたけど、家にPCもDVDもゲームもある今の時代、その意識は幻想を追ってるだけ。「国民的大スター」が出ないのは今の芸能人の責任ではなく時代背景の違いであって、どうしようもない時の流れの責任を芸能人1人に背負わせるなよ。「期待」にもならない「幻想」を押し付けるな。

*1:勿論、キムタクというブランドがある役者を主役に置く場合、作る側も「絶対に当てる」という意気込みがあるから資金や豪華絢爛さは変わってくる。でも結局それらは全て「作品」に繋がってゆき、それで出来た作品がつまらなければその先の「視聴率」には繋がらない。

*2:そういうこと言うファンは国民全員が自分と同じように「××ファンなら作品がつまらなくても見る」と思ってる考え足らずちゃんだから