高橋 源一郎,山田 詠美『顰蹙文学カフェ』

顰蹙文学カフェ (講談社文庫)

顰蹙文学カフェ (講談社文庫)

 『嫌われ者の流儀』『顰蹙文学カフェ』なんて本を立て続けに読んで、自分はどこに向かうんだろうと思っていたらこの本の「顰蹙は才能」という言葉に救われた。

山田 物を書いてる最中に自分を好きな人なんているのかな。
高橋 気持ち悪いよね、書いてる自分は。
中原 その話を聞けて良かったです。

 同じく、良かった。島田雅彦の謝辞も良い。

 自暴自棄になったところで、壊れるのは自分であって、世間は痛くも痒くもない。そう考えつつ、創作意欲を奮い起こしてこれまで書いて来た。小説はまだハートに効く薬足りえているのだろうか、と青臭い自問を繰り返しながら。
 あれこれ思い悩んでも、いつも辿り着く結論は同じ。書かなければ生きていけないのだから、書くしかない。そもそも過去の物書きも別に生活の糧を得るために書いてきたわけではなく、書かずにはいられないから、書いてきたのである。小説とは、もてない男がもてるためのあらゆる努力をするジャンルであり、現実逃避や遁世のための装置であり、復讐の武器や呪いのワラ人形にもなり、またおのが愚行や人類が犯した罪の記憶であり、夢につながる回路であり得た。そんな便利なデバイス簡単に手放してなるものか。

 それと瀬戸内寂聴石原慎太郎についての言葉で泣きそうになってしまった。彼はまだ文学をガムシャラに愛して、剛胆に恋している。才能が枯渇することなど決して無い。いつか政治から身を引いた時、圧倒的な筆力を見せつけてほしい。