「悪役」はいても「悪人」はいないアメリカドラマ


 今週の『ゴシップガール』を見た。教師を騙し寒空の中1時間待ちぼうけさせた悪役ヒロインのブレアが、「その教師が自分のことを気遣ってくれてた」ことを知り反省してその先生のもとへ向かうエピソード。結局先生は怒って、大学進学が危うくなり、ブレアは激怒するんだけど笑。この問題、反省したブレアが「体調不良で倒れてました」ってナリでメイドに身体を支えられながら先生の所に行けば恐らくそこまで大きな問題にはならなかった。騙して、反省して、まっすぐ駆けつけちゃったからキレられたわけで。怒った先生を前にして「ごめんなさい騙しました。でも今は反省してます。反省してるから....わかって」とか言っちゃうの笑。そーいう小細工せずにまっすぐな所がブレアってキャラの魅力だなぁと思った。自分の信念は曲げない。親友のセリーナに対しても結構酷い扱いをするんだけどそれに悪気は無い。だから弱るとすぐセリーナの方へ涙目で駆け寄る。行動は身勝手すぎるけど憎めない笑。性格悪いけどいつも懸命だから。

 こんな風に、アメリカのドラマってメインキャラに「悪人」っていなくて、「悪役」でも人間らしさが描かれていて「悪人」ではない。『アグリベティ』の悪役・ウィルミナも、アフリカ系の血が入っていて「白人社会で成り上がりたい」という欲望と志がある。コンプレックスの設定がちゃんとしていて、その暴挙(主人公視点での悪行)にも理由が見える。父親の魂を継いで白人社会で絶対的な存在になろうとするウィルミナ。これ多分、アメリカのドラマは人気があればシリーズ化すること」が大きいと思う。長きに渡ってキャラクターの人生を描くから。人生には生き様がある。その生き様には良い面も悪い面もあるけど、話を重ねていくごとに彼らは成長していく。『ゴシップガール』のチャックの叔父なんかは悪人として描かれてるけど、そーいう人間は小物として描かれさっさと退場する。人生を描く価値が無いから。