「悪人」が「いい人」になる日本ドラマ

 日本ドラマは、「悪役」が「いい人」になって終わることが多い。とてつもない悪人だったのに最後急に更生していい人になる。元ある人格が変化する、じゃなくて元あった人格が代替する。「悪」という人格自体が無くなり新たな「善」人格が憑依する。草なぎの『冬の桜』の高嶋とか、上戸彩の月9の吾郎とか。2ヶ月間悪行を働き続けてきたのに最終回でいきなりいい人になって話が解決する笑。それまでの二ヶ月間なんだったんだよ笑。そういうの、物語としては弱いと思う。人間、人格なんてそう変えられないわけで、根本的な人格は変わってないけど色々あって少しだけ認識なんかが変化して、物語が良い方向へ向かう。または反省して更生しようとする。そんな物語の方が力があると思う。「根本的な人格は変わってなくても」と言っても、その根本的な人格「全てが悪!」ってわけじゃないし、その中にある「(他人にとっての)いい部分」を延ばせば良いはず。「人格自体が入れ替わった」じゃぁ、そのキャラの魂は失われ、物語の駒が交代しただけだ。そんな物語は空虚です。

 たとえばなし。映画『道』(※ネタバレ)の主人公は酷い男で、旅芸人をしており助手として娘を買った。最初は幸せを感じていた娘は主人公の酷い扱いに嫌気が指し、出会った綱渡り芸人と親交を深める。主人公はその綱渡り芸人を撲殺する。その死に放心した娘は助手として使えなくなり、主人公は彼女を捨てる。数年後、海辺を歩いていたら耳慣れた歌を聞く。尋ねると、誰にも省みられることなく死んでいった娘が歌っていた曲だと言う。その歌は主人公がよくラッパで演奏していた曲だった。主人公は孤独と絶望に襲われ、嗚咽する。


 『道』の主人公が、娘を捨てる前に突然雷にでも撃たれたかのように「今までのこと全てよくないことだった!子供たちを救うNPO法人を設立しよう!」とか人格変わっちゃぁ興ざめでしょって話です。それが「悪人」が「いい人」になる、日本ドラマによくある展開。日本のドラマ好きだし、全部の日本ドラマがそうってわけじゃないけど先述した通り「悪人だったのに急に別人のいい人になる」って話の落とし方をする作品が多くて、その癖は好きじゃないのです。
 『道』のラストが観る者の心を撃つのは、主人公の人格が変わっていないまま、主人公が"気づき"反省をするから。日々多くのことに"気づき"ながら「こんな自分じゃダメだ」と反省する我々のように。私たちも、『道』の主人公も、誰もが、「別人」には決してなれない。