「初夏」のAKBと「真夏」のSKE、儚さと危うさ


 同じ自然の中のグラビア。松井玲奈(SKE:右)はマッチするけど、柏木由紀(AKB:左)は大自然と映ると不一致な印象を受ける。これは本人たちが身を置くSKEとAKBってグループ性の差に少し起因するのではないかと考えた。両写真とも被写体がインドアっぽいのは共通してるんだけど、玲奈のグラビアには自然に負けない生のオーラがある。それってやはりSKEの活動で豊かになった物かな、と。
 SKE48AKB48のグループ性の違い。AKBが夏の制服に袖を通す「初夏」又は秋の到来と夏の終わりの淋しさをどこかで感じている「処夏」ならば、SKEは熱い太陽の下で圧倒的なリアリズムに照らされる「真夏」

 AKBの夏、と言うとまだ夏制服が着慣れていない『言い訳Maybe』。アップテンポで常夏を感じさせるメロディの『ポニーテールとシュシュ』だって夏前で、「どうか少女のままで...」って歌詞にあるように「この夏が終わりませんように」という決して叶わない願いがある。『Everyday,カチューシャ』にもなると時期は夏の到来前なのに「永遠に変わらないで」とその夏が永遠ではない胸の焦がれがある。夏どころかもっと先を見ている。AKBの夏ってどこかシリアスさがあって、これから来る夏/去る夏が「永遠ではない」儚さが強調されている。夏ではないけど『only today』や『seventeen』等、100%のハッピーエンドとは全く言えないわびしさが、AKBにはある。

 一方SKEは夏真っ只中!夏休み!って強烈さがドドンとかまえる。アップテンポでない夏歌にしてもそれは真夏の夕方であったりする(『羽豆岬』)。SKEの方が太陽が身を焦がすリアリズムな夏、悪く言えば誘惑に満ちた魔性さまでもがある夏。魔性な夏といえば『少女は真夏に何をする』。この作品は「閉塞感に縛られている少女たちが自分たちの足で都会に繰り出し、ディスコの壇上で絢爛なダンスシーン!と一見開放感のようなものを見せつけながら、実はその旅足も親の金で成立しており彼女たちはまた元の場所に戻らなくてはいけない」という圧倒的な閉塞感に包囲されている構成。自由を体感したことが無い上での閉塞感と、一度翼を得た自由を体験してから襲ってくる閉塞感では、その重量が違う。その偽りの自由を与えたのは灼熱の太陽。正に魔性の夏

 AKBは「夏のにおい」を感じる"夏"(初夏、処夏)であって、SKEの方が「夏休み」な圧倒的"真夏"であると。AKBは自ら手榴弾を用いて桜が散るように自殺しそうだけど、SKEはむしろ他殺派、突撃しすぎて自分で自分を他殺しそうな攻撃性を持っている。AKBが桜ならSKEは梅の花
 もう一度。被写体としての柏木由紀松井玲奈の差(自然との調合)はAKB/SKEに見られるグループ性の差が少し影響を与えてるのではないか。AKBは少し俯瞰的な面が強い。自ら散っていきそうな「儚さ」。SKEの方が若さゆえの「危うさ」がある。自然というのはただ存在するだけで他を圧倒するパワー(美しさ)があって、それには内なるパワーで対抗しないと存在感の整合をとることが被写体には出来ない。その溢れ出てしまうパワーと言うのは、AKBよりもSKE的だと思う。