偽が照らす個

「ニューヨークの地下鉄に乗らなかったら一気に曲が書けなくなる」- ベック・ハンセン

「電車でおじさんや女の子を見たりしたときにその人に「なれる」瞬間が、俺って作家のアウトプットを作ってる」 「女の人を書くのも、女の人になったことがないし永遠にはなれないという空洞を埋めるためかもしれなくて。でもそれが幸せなんだよね」 -古川日出男

 頷いてしまう話である。誰か「他人」の演技をするにしても、誰か「他人」の物語を書くにしても、その対象の観点に没入しようとその「他人」は「自分ではない」。であると同時に模範なのだから、「他人」その人でも勿論、ない。それはさながら偽を創る行為であり、その成果である偽物と本物、他の偽物との違いこそが自分の個性なのでしょう。演じるにしても書くにしてもその対象は非実在(フィクション)の可能性が高いけど、同じ設定を与えられたとしても表現者によってその成果はだいぶ変わる。正解のあるレポート課題でも書く生徒によって内容が違ってくる。そういう微差が個性なのだと思う。