罰が下らないという、罪 伊藤計劃『虐殺器官』

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

 罪に罰が付随するなんて甘ったれだ。罰ってのは、ある種の赦しだ。罰は罪を"相殺する錯覚"をくれる。だから今夜も、偉いおじさんがSMクラブに通う。罰の擬似体験を得る為に。…"罰の代替品"すら授からなかった罪人はどうする?… きっとその内の一定数は、赦しを得るため"更なる罪"を重ね続ける。「こんなに酷いことをしてるんだ、いつ俺に制裁は下る?」 
 主人公の選択は、こういった意味も含まれてると思う。(※ネタバレ)「ぼく」の罪を赦してくれる存在は母とルツィアしかいなかった。その二人の女性は死んだ。もう誰も「ぼく」を赦せない。ルツィアは虐殺器官のリークを望んだ。「ぼく」はリークをした。虐殺器官を忍ばせたリークを。ルツィアは「人々は屍の上に立っていることを自覚すべき」と言った。アメリカ人は、十二分に実感しただろう。屍の上に立ってたことを、屍になることで。ある意味ではルツィアが命じた罰は達成されている。「ぼく」の手によって。でもその「罰」は、ジョン・ポールに与えられたものだった。「ぼく」に授けられた罰じゃない。ルツィアからの罰を求めた「ぼく」は、罰の疑似体験をし、虚構の中生きていく。悲しい悲しいラブストーリーだ。