幸せ(前の続き、ドラマとは関係の無い自分なりの考え)

 日々物語物語言ってるし、「夢」や「希望」ってものが人間の精神を豊かにするって信じてるんだけど。いわゆるマズローの「自己実現欲求」。でも、マズローのピラミッドが「自己実現欲求」の下に「生理的、安全、社会的」を位置させているように、夢を見るには生命そして社会との折り合いが必要。言い方悪いけど「夢見ることは良いけど金稼がなきゃその夢見れねーぞ」と笑。
 夢を見るのに必要な金額は環境・人それぞれ。「貧しい国の人々はこんな環境でも自分のこと幸福だと思ってますこんな笑顔です〜」とかよくあるけど、そもそも先進国と発展途上国では環境が違うから。発展途上国の彼らが日本で育ったら。識字率世界一の日本で自分だけ物乞いをしていたら。自分のことを「幸せ」と曇りない笑顔で言えるだろうか?多くの人間は幸福って認識を「相対的比較」から離せないと思う。幸福は「絶対的認識」である、と認知できるのはある程度生活基盤を満たされている人間か、社会を己の存在場所と認知しない人間のどちらか(大体)。
 でも「相対性」だけで満足しないのが「幸福」ってやつで、アメリカでは「年収700万を越える人間は所得上昇よりも休暇の数、過ごし方、趣味に価値を置くようになる(つまり給料UPよりも休日の多さを求めるようになる)」って1つの統計結果がある。大雑把に言うと当時のアメリカの平均年収は約500万、日本の平均年収は400〜450万なのでまあ数値としては同じようなものでしょう。「今の」先進諸国の思想に基づくと、マズローピラミッドの安全欲求までをすべての国民が満たす社会づくりっていうのが国の義務だと思う。衣食住の確保。生物としての延命維持。でもその上からの欲求は個人よりけりだから、「自分とは何か」「自分にとっての幸せとは何か」を追求することが大事かなと。
 オチ無し。みつを