アニメ『とらドラ』、「姫は王子に選ばれ、2人は幸せに暮らしました」の"2人以外"はどこへゆくのか


 アニメ『とらドラ!』視聴。良かった。毎度のごとくネタバレトークですよ。

 最後はヒーローとヒロインが選ばれ結ばれ幸せに終わる。『とらドラ!』もそんな数多くある恋愛作品。でも『とらドラ!』のなにが良かったって、選んだヒーローと、選ばれたヒロインと。そして彼ら・彼女らに選ばれなかった人たちの幸せも描いているところ。複数の人間に好かれるハーレムアニメでも、物語の終わりには1人の相手を選ぶ。複数の中から選んだ相手がいるということは、同時に選ばれなかった相手も存在するということ。そして、選ばれなかったキャラクターたちは選ばれなかった時点で絶命するわけでもなく、その人生は物語の延長線上で続いていく。これは当然のことで、なのにヒーローとヒロインの幸せだけ画面いっぱいに映して「2人は幸せに暮らしました」なんて幕の閉じ方は少し無責任じゃないだろうか。選ばれないキャラを作っておいて最後には「選ばれなかった、ハイさようなら」じゃ、少し悲しい。気がする。だから、ハーレム恋愛ものだと"選ばれなかったキャラクタの行方"を描いてる作品を好きになるんですね、よく。選ばれなくても人生は続いていって、自分の足で生きていかなきゃいけない。それを描いた作品。思えば、現実という名のこの世界で、僕たち私たちは"選ばれること"も"選ばれないこと"も、"選ぶ"ことも"選ばないこと"も経験して生きてゆく。きっと、喜びが一切無い人生だって無いように悲しみが一切無いなんて人生も無い。「悲しい」って概念・比較対象が無ければ「嬉しい」って発想も生まれないはずだから。そんな、悲しみが必然である世界を生きてく上で"選ばれなかったこと"を通し自分と向き合い、強く生きていく『とらドラ!』のキャラクターたちの姿はとても眩しい。フィクションでも。

 23話の台詞がとても良かったので引用。

「こっち見てよ大河!あたしを見て!あたしが何に見える?あたしはみのりだよ、あんたの親友、そうでしょ!?あたしが好きって言ったよね!?ならあたしを信じてよ!あたしは大河を信じるよ。"みのりんみのりんみのりんが"、って、欲しいものを欲しがれない弱さを人のせいにする奴じゃないって信じてる!それともあんたはそういう奴だった!?」「そんなの違う…あたしはただみのりんが幸せになれるように…大好きなみのりんが幸せに…」「ふざけんな!!あたしの幸せは…あたしがこの手で、この腕だけでつかみ取るんだ!あたしには何が幸せか、あたし以外の誰にも決めさせない!!」
  —『とらドラ!』23話「進むべき道」より

 とらドラ!』は「選択して歩く力」よりも「選択して決別する力」を描写している作品、とたまごまごさんは言っていた*1。『とらドラ!』のキャラって全員がどこかで選ばれていない。ヒーローとヒロインも"選ばれなかったこと"を痛いほど経験していて、だからこそ"選ぶ"ことに臆病になっている。選択の代償を描いている。でも代償ばっか気にしてちゃ掴みたいものも掴めない。幸せになってほしい相手も幸せにできない(時には)。代償を見てしまっても踏み込んでいかなきゃダメだ。"決別"していかなくっちゃダメだ。『とらドラ!』は、選択して決別してゆく物語。「追いかけなくっちゃね、追いかける気がある人が」という台詞が、この作品を象徴していると思う。